「リンさんの小さな子」「容疑者Xの献身」

いよいよトシも押し迫ってきました。

・・・ところでどうしてカタカナで「とし」と書くと年齢みたいに見えちゃうんでしょう。そっちのほうは押し迫っちゃやだなぁと思っているんだけど。



さておき。


リンさんの小さな子

リンさんの小さな子

あちこちに出ていた書評ではなかなか泣かせると評判の「リンさんの小さな子」を読みました。



端的にいって、期待しすぎちゃったのか、ニュース見てても泣くわたしが泣きませんでした。


これは珍しいです。

わたしの「泣き」の閾値はかなり低く、「フランダースの犬」という単語でももう目が潤むという有様なんですが。



書き込みを抑えて淡々と流した文章に、しっかりした構築の物語は、たしかにすばらしく、非の打ち所なく、一気読みさせます。



なのですが、意図的に寓話的に仕上げるべく、場所や人名を「どこかにありそうな」ものにしたことや、抑制の効いた文体が逆に「寓話的」部分を強調してしまって、「そんな物語がありました」チャン、チャン♪と、本来嵐のように襲う感動を、別の次元へ移行させてしまったような。



作者のそうした意図が見えちゃうところも、ちょっと減点。世界的にベストセラーで評論家絶賛の作品ですが、100点満点だったら90点。5つ星評価なら、星4つ半といったところ。





容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

さてさて、次は「容疑者Xの献身」。



ミステリを読む際に参考にしている積読も読書のうち?11/28分で紹介されていたもので、ここでも書かれているとおり、傑作の倒叙ミステリです。



文章はウマイわ、構築はいいわ、トリックは秀逸だわ、しかもそれが奇妙キテレツなトリックではなく、ミステリの定石で運んで大逆転というか、コンパルソリ(規定演技)で観衆総立ちっていうか・・・。


ともかく、スバラシイ、のヒトコト。今年読んだ中でベスト3に入ります。もしかしたらトップかも。



東野圭吾作品なら面白いのはわかっているけど、ミステリって一度しか読まないから、買わないで図書館で借りようかな」と思っていましたが、読み終わったら2度3度読み直してました。


さらに! これを読もうと思って、外出の際に持ち歩いたら、同じ電車の隣に座った50代ぐらいの男性がおもむろにカバーなしの「容疑者Xの献身」を開くじゃありませんか。これにはびっくり。



電車の中で、同じ本を広げる人がいる風景って、ヤングジャンプの発売日ぐらいしか見かけないでしょ?



ホント、この東野圭吾という作家って、欠点は上手すぎることじゃないでしょうか。



いえ、冗談じゃなく。。



上手すぎちゃって、あまりにスキッと読めすぎる。それはそれで、読者としては最高なのですが、ひとりの作家作品を思うと、ちょっと物足りない気が。




トリックの解法も端麗ながらオチでの人物描写まで、何一つ、ひっかからない。


東野圭吾」色というのが、その技術によって払拭されているような気がして、「変身」や「秘密」で垣間見えた「東野圭吾」の主張というか、理想をもうちょっと読者に押し付けても、わたしたちは受け入れますよ、といいたくなります。




そう、つまり「東野圭吾」はプロ中のプロで、読者も自分も含めて「求める作品」をピシッと書けてしまう、当代一の技術を持つプロミステリ作家だと、uniは思います。でも、作家生活20周年だっけ、だったら次は「求められる作品」じゃなくて、「こみ上げる作品」への挑戦も見てみたいです。